東灘区

24 新明和工業(川西航空機甲南製作所跡)
場所 青木1-1

 1941年に工場作りに着工、1942年2月に生産が始まり、「二式大艇」を学徒動員や朝鮮人徴用工で製作していました。5月11日、工場敷地内に146個の500ポンド爆弾(約226kg)が落とされ、工場建物には56個が命中しました。死者160人、負傷者105人と言われています。また6月5日の空襲では、寄宿舎3棟が焼失し、死者15人、負傷者8人が出ました。8月6日未明も空襲が続き、隣の高等商船学校(現神戸大学・海事博物館)のそばの大きな防空壕に逃げ込んだ女学生が、大勢犠牲になったといわれています。新明和工業敷地内に空襲の爆撃の跡が残っているそうです。
 5月5日午後11時頃、B29 6機が神戸近海に機雷を投下した際に、1機が撃ち落とされ、飛行士の死体が本庄村海岸に漂着しました。飛行士の持っていた地図の中にあった攻撃目標に、「5月11日川西航空機甲南製作所、目印は朱鳥居」とあったため、工場内の機械、材料などを灘中学校や周辺の施設に移していたといいます。そのうちのジュラルミン1トンは、戦後元町商店街の復興に使われたといいます。
新明和工業甲南工場