17 | 十二間道路の空襲 |
場所 | 岡本2丁目~魚崎南町6丁目 |
十二間道路は幅が21.6mあり、戦争中は周りの人が畑を作っていました。5月11日の空襲では5、6発爆弾が落とされて、まわりの家が焼けたり、吹き飛んだりして壊れていました。爆弾で大きな穴が開き、池のように水がたまっていました。 |
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十二間道路 |
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田中の交番 戦時中と同じところにある |
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防空壕のあった路地 |
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路地奥から十二間道路を見たところ |
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この路地奥に防空壕がありました |
当時14歳だった馬場章子さんは、女学生でした。高羽国民学校に女学校が移転し、六甲台に畑仕事に行っていました。5月11日学校で空襲警戒警報が出て、すぐに家に帰され、阪急岡本駅から摂津本山の線路沿いに西に走り高架をくぐって、天井川川沿いを南下、三王神社を西に行き、田中の交番の方へ、2号線を斜めに横断しました。交番の巡査に、交番前の防空壕に入るよう言われましたが、家の頑丈な防空壕に入りたいと必死で走りました。十二間道路を南に走りました。 当時の十二間道路は、周りの人が畑にし、クローバーがいっぱい生えていました。上からB29が追いかけ、爆弾を落としてくるので、直角に我が家の路地に逃げ込み、大きな防空壕に入りました。B29は直角には飛べないから逃げられたと聞きました。そこには、向かいのおばさんとそこの子どもたちもいて、4~5人いました。近くで落とされた爆弾の音で、防空壕が振動し、地震の時以上の揺れ、おばさんは「なんまいだなんまいだ」と念仏を唱えていました。 この防空壕は、家の西側に、酒屋をしていた祖父が大工さんに頼んでつくってもらったもので、厚さ10センチもある酒樽の板を周りに打ち込み、きちんと屋根もありました。十二間道路には、5~6発爆弾が落とされていて、大きな穴があき、周りの家は吹っ飛び、水もたまり、大きく迂回しながら歩かないと学校にもいけませんでした。 十二間道路は魚崎幹線と呼ばれ、東灘区魚崎南町6丁目から東灘区岡本2丁目まで、1間=1.8mなので、21.6mという広い幅があったようです。しかし、車はほとんど走らず、原っぱのように草が生え、馬や牛が行き来するところで、戦争中は周りの人が畑を作っていました。家は数軒ぽつぽつとあり、空襲の時は、爆弾で家が焼けたり、吹き飛んだりして壊れていたそうです。 |