5 | 新華寮跡(旧戎井旅館) |
場所 | 北長狭通7-2-6 現在ライオンズマンション西元町第2 |
1939年末頃 日本は中国人捕虜を連れてきて、神戸港の荷役や三菱造船所などの労働につかせました。戎井旅館も、軍に徴発され、300人ほどが入れられたのです。新華寮と名づけられ、憲兵隊の監視下に入ったと、戎井隆寿さんは、証言されています。「その待遇は目に余るもので、特に食事ともなればひどいものでした。」 6月5日の大空襲にあったが、捕虜の隊長らしい人やみんなが協力して延焼を食い止めたこと 自分たちも明石に疎開したが、中国人捕虜も海岸通に移動したこと等を「日中いくたニュース」に証言されています。(1976 年5月27日) 他にも中国人捕虜収容所は万国寮海岸施設等がありました。(参考 神戸港における戦時下朝鮮人中国人強制連行を調査する会)。 |
新華寮あとに立つマンション |