4 | 八宮神社(六宮神社) |
場所 | 楠町3-4-13 |
3月17日の空襲で神社は全焼しました。空襲で被災したイチョウや石灯籠が残っています。再建記念碑には「昭和20年3月17日第2次世界大戦の際の戦災により社殿其他當地方一帯焦土と化し民家財を失う」と書かれています。昭和9年生まれ(2023年89歳)の宮司さんが、「子どもだったので、学童集団疎開に行っていて、3日後に帰ってきた時にまだ煙が出ていた」「宇治川辺りは焼け残っていた。建物強制疎開された一帯もあり、省線(今のJR)の高架まですとんと見えた」「同級生の中に焼夷弾に当たって亡くなった子どももいて、母親が嘆き悲しんでいた。大倉山で荼毘に付した、と聞いた」と話されました。敷石に焼夷弾あと、楠に空襲跡を教えてくださいました。また、焼夷弾が見つかったと見せてくださいました。先の部分が埋まっていたので、周りが腐食している焼夷弾の信管部分です。また、地面にまだ3本ほど埋まっていたところや、敷石にも焼夷弾のあとが残っていました。楠の南側の木は 蜂が巣をつくったので、埋めたと言われました。。 |
八宮神社 |
再建記念碑 |
敷石の焼夷弾あと |
楠の空襲跡 |
見つかった焼夷弾の信管部分 |