3 | 大倉山公園 神戸空襲を忘れない ―いのちと平和の碑― 伊藤博文銅像台座 |
場所 | 楠町7 地下鉄大倉山駅3分 |
「神戸空襲を忘れないーいのちと平和の碑」。公園の北東部に2013年8月15日神戸空襲犠牲者のお名前を刻んだ碑がたてられました。その後追加刻銘を行い、現在も2年に1度新たに分かったお名前届けられたお名前を追加刻銘しています。犠牲者は約8000名と言われていますが、まだ4分の1もわかっていません。この周囲は兵庫区荒田町など空襲がひどく、病院も外壁しか残っていないという写真があります。山側に祇園神社が見えますが、そこまで逃げて助かったという証言が多く残っています。 公園入口近くには伊藤博文の銅像があった台座があります。伊藤博文銅像は、湊川神社に建てられたものが1905年引き倒されてしまい、再建したものです。1909年10月26日中国ハルピンで伊藤博文は朝鮮独立運動家安重根に射殺されました。1910年に韓国併合が進められ、1911年伊藤博文の銅像が再建されることになりました。伊藤と親交の深かった大倉財閥の大倉喜八郎が、別荘のあった大倉山を丸ごと神戸市に寄付。港に入る船からも見えるように、また国会議事堂に見立てたという台座の上に像を立てました。太平洋戦争では、金属供出され、台座だけが残りました。 また、台座の東側 グラウンド山側に高射砲陣地があり、6基高射砲が並び、その地下には弾薬庫があったということです。 教育勅語記念碑は、公園を北側に向かうと、広場の神大病院の方にあります。神戸市内の学校や幼稚園の生徒や教員の寄付で、教育勅語下賜30年記念碑(1920年)としてたてられています。克忠克孝と題字があります。 |
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神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑 |
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伊藤博文の銅像があった台座 |
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高射砲陣地跡 |
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教育勅語記念碑 |