須磨区

24 緑の塔 須磨浦公園
場所 須磨浦公園東端
 この塔は戦時中は1941年に建てられた「八紘一宇」の塔でしたが、戦後改造され、1954年天皇の植樹を記念して「緑の塔」になりました。しかし塔を囲む後ろの壁面には「八紘一宇」の塔のいわれを記した碑文が残っており、右側の地球儀には「大東亜共栄圏」の範囲を示す線や皇居、伊勢神宮などの方位が示されたまま残されています。1995年の震災で西側の地球儀が落ち、震災モニュメントとなっています。
 1890年(明治22年)須磨保養所が緑の塔あたりに作られ、正岡子規が日清戦争に従軍記者として参加しましたが、病気になり、1896年(明治28年)5月22日神戸に入港、県立神戸病院を経て、7月23日から8月20日まで須磨保養院に入院したとあります。
 また、源平の合戦の戦の濱碑という記念碑もあります。。
緑の塔全景
緑の塔裏側
皇紀2600年の絵
 
皇紀2600年の絵(拡大)
 
緑の塔地球儀モニュメント 
 
地球儀(横から)
 
震災モニュメント 
 
 震災モニュメン(拡大)ト
 
神宮を示す方位
 
源平の戦の碑