須磨区

16 須磨離宮公園
場所 東須磨1-1 (木曜休園)
 1913年(大正3年)「武庫離宮」完成。「武庫」という名前から、焼夷弾が降り落とされたのは「武器庫」と考えられたのではないか、といわれます。庭石の多くは焼夷弾の高熱で焼けた跡を残し、石灯籠も焦げ跡を残しています。
 敗戦後占領した米軍が射撃練習場として使われました。
 空襲で焼失したといわれる傘亭が2011年復元され、そばに空襲慰霊碑が立てられています。
離宮公園正面
射撃場になった離宮公園
離宮公園傘亭と供養塔
慰霊碑裏
慰霊碑裏(拡大)