須磨区

11 禅昌寺
場所 禅昌寺町2‐5‐1
石碑 宍戸忠彦歌碑
 「生もなく死もなくこの身大君に ささげまつりて 我は征くなり 忠彦」
 作者は大阪大学医学部卒業 昭和19年10月18日グアム島又木山西方地区にて戦死」出征のおり、黙って机の引き出しに入れていたということです。
禅昌寺山門
禅昌寺「禅昌寺」(扁額は朝鮮通信使の一人が書いたとされる。)
石碑 伊藤博文歌碑
 明治初年兵庫県知事だったときに訪れたときの歌だということです。