5 | 嗚呼 福田君父子之碑 |
場所 | 檜川町1丁目3 |
1938年7月5日の阪神大水害で、朝鮮人を含む地域住民を命がけで避難誘導し殉職した福田(ふくだ)秀蔵(ひでぞう)巡査(当時58才)と息子明生(あきお)さん(当時19才)を追悼する碑です。当時神戸市内には約2万人の朝鮮人が住んでいましたが、河川敷や山の斜面が多く、源平町も線路わきの堤防付近に住み、崩壊する恐れがある、という知らせに、住民を説得し、避難場所に誘導、逃げ遅れた住民を救おうとして堤防の崩壊にあい、濁流にのまれたといいます。 |
嗚呼 福田君父子之碑と桧川 |
嗚呼 福田君父子之碑 |
嗚呼 福田君父子之碑の裏書 |