灘区

16 西灘公園 戦災復興記念碑
場所 都通1-2

 敏馬神社を西へ進むと西灘公園があります。公園内には「戦災復興」と記された記念碑があり、これは「戦災復興事業」が終わった1980年5月に建てられたものです。戦後間も無く「戦災復興都市計画」が打ち出され、全国各地で被災した土地の区画整理事業が一斉に行われました。
 神戸市では1945年11月から神戸市内11地区を対象に、街路や公園を作る区画整理事業としてスタート。当初は国から8割の補助金が出されましたが、次第に事業規模は縮小され、1958年に戦災復興事業は打ち切られました。しかし神戸市ではそれ以降も、都市計画事業など新たな事業へ切り替えながら、引き続き区画整理を進めていきました。そして1995年の阪神淡路大震災を挟んで、1999年に三宮雲井通の改修工事を最後に戦災区域の整備を終えました。
 2013年1月23日、阪神大石駅北側灘南通1-2の倉庫跡から不発弾が5発も見つかりました。弾頭は長さ19cm径7cm。ここから南の大石北町大石東町は6月5日の空襲で、大量の焼夷弾を受けて焼けてしまいました。周辺は、神戸製鋼、小泉製麻、と当時軍の管理下にあった軍需工場があり、その荷物を上げ下ろしする桟橋があり、酒蔵もありました。西郷会館に高射砲部隊がいてサーチライトもあったといい、6月5日の空襲で大きな被害を受けました。
西灘公園戦災復興記念碑
戦災復興記念碑裏側
記念碑裏側を拡大
不発弾5発見つかった倉庫跡(灘南通2013年)