18 | 大輪田橋 |
場所 | 中之島2 |
橋の土台や柱は黒く焼け焦げています。3月17日の大空襲では、広い通りの大きな橋で、兵庫運河の水もあり、「ここなら大丈夫」と逃げてこられた方々が、熱風と炎で500人以上亡くなられました。町内の犠牲者も多く、橋の下には、出在家町協議会建立の空襲慰霊碑があり、やはり3月17日に慰霊祭を行われています。水のある運河は、油脂焼夷弾の油が流れ、浮かぶ木々も燃やし炎が走りました。また、橋の上も熱風にあおられ、吹きとばされた方、ご自分のお子さんを吹き飛ばされ見つけることができなかったという証言があります。(兵庫図書館戦災紀念資料室に死亡証明書の給付を求める資料掲示)橋の下のトンネル部分も防空壕代わりに入った方々が炎と煙で亡くなられました。 阪神淡路大震災で、橋脚の飾りの塔が落ちてしまい、今、橋の上と薬仙寺に震災と戦災を忘れないモニュメントとして残されています。カタツムリは家を失った方々の哀しみと願いを表しているそうです。 隣の阿弥陀寺も全焼し、清盛塚、琵琶塚も空襲の炎で黒く焼け焦げています。 |
大和田橋 |
大和田橋の橋脚 |
大輪田橋下の通路入り口です。ふさがれています。 |
大輪田橋の橋脚の飾りです。これはまだ残っています。でもかたつむりを つけています。 |
手前の白いところは震災後に修復して、見る影もない姿にされています。 |
出在家住民の慰霊塔説明板です。 |
大輪田橋下の出在家町の犠牲者慰霊碑です。 |
清盛塚 |
琵琶塚 |